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×2020年4月→改め2021年3月よりJOCVとしてケニアへ。いろいろ情報発信ができるといいな

キクユネームの法則

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ケニア人の大好きなごちそう、ニャマチョマ(nyama choma)。意味は「焼肉」です。

何度かネタにしていますが、私の住んでいるキアンブ・カウンティは、キクユ人(Kikuyu/Gĩkũyũ)という人々の住む地域です。
キクユ人はケニア国内において、人口の約15~17%を占める最大民族集団です。ケニアの初代大統領であり、独立の父として尊敬されるジョモ・ケニヤッタや、彼の息子で現大統領のウフル・ケニヤッタもキクユ人です。

キクユ人は、サブサハラ地域に広く居住する「バントゥー系民族」の一つです。
バントゥー系民族」とは、言語学的に「バントゥー語群」に分類される言語を話す人々の総称です。バントゥー系民族は、ジャレド・ダイアモンド氏の名著『銃・病原菌・鉄』において、「この5000年間に起こった人口の移動のうちでももっとも劇的な部類に属する」と評された、アフリカ大陸における大規模な拡散を達成した人々であるそうです。
彼らは、現在のナイジェリア・カメルーン辺りに起源を持ち、農耕や牛の牧畜を行っていた人々で、先住民のコイサン人やピグミー人などを追いやりながら南部アフリカや東アフリカへと移動・定住していきました。

そうした人々の中で、現在のケニアの中央高地に定住し、農耕を行った人々がキクユ人というわけです。

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スワヒリ語でウガリ(ugali)と呼ばれるトウモロコシの粉から作る主食。キクユ語では「ギマ(ngima)」と言います。

さて、本題のキクユ人の名前の法則なのですが、教えてもらっておもしろかったので紹介します。

だいたい多くのキクユ人の名前は、3つの部分からなります。

例として、男女それぞれの名前を設定します。

男性:John Ngugi Njoroge ジョン・ゴゲ・ジョロゲ
女性:Mary Njeri Njoroge メアリー・ジェリ・ジョロゲ

それぞれ、
①ジョン、②ゴゲ、③ジョロゲ
①メアリー、②ジェリ、③ジョロゲ

と分解します。

①の最初の名前が、親などにつけてもらった自分自身の名前です。①の名前は、クリスチャンネームである場合が多いです。

②の名前は、親族から受け継ぐ名前です。例えば、長男であれば父方の祖父から、次男は母方の祖父から、三男は父方の一番年上のおじ、というように、親族からもらう名前です。女性の場合は、長女は父方の祖母、次女なら母方の祖母、三女は父方の一番年上のおば、という具合です。

③の名前は、父親の名前です。既婚女性の場合は、夫の父親の名前になります。

ということで、日本の「姓」にあたるものは、キクユ人の名前にはないそうです。

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②は文字情報だけだとわかりにくそうなので、図説しました。

その人が呼ばれる名前も色々で、自分の個人名・キリスト教徒の洗礼名である①で呼ばれる人もいますし、親族から受け継いだ②の名前で呼ばれる人もいます。父親の名前である③で呼ばれてる人もいるので驚いてしまいます...!

つまり上の例でいけば、ジョン・グギ・ジョロゲさんは、ジョンと呼ばれることもあるし、グギと呼ばれることもあり、人によってはジョロゲと呼ばれる場合もあるということですね。

名乗りの際には、①または②と、③の名前を組み合わせます。

John wa Njoroge ジョン・ワ・ジョロゲとか、Njeri wa Njoroge ジェリ・ワ・ジョロゲみたいな感じですね。
この「wa」は、英語の「of」みたいな意味なので、「ジョロゲの息子のジョン」とか「ジョロゲの娘のジェリ」みたいな意味合いなのかと思います。

ここで気が付いたのは、キクユ人の作家グギ・ワ・ジオンゴ(Ngugi wa Thiong'o)でした。これは「ジオンゴの息子のグギ」っていうことなんですね。
グギ氏は、英語やスワヒリ語での執筆をやめてキクユ語での小説の執筆にこだわる作家なので、もしかするとこの名乗りこそがキクユ人の伝統なのかもしれません。

あと、スワヒリ語を勉強した後は「Ngugi wa Thiong'o」という名前を「ングギ・ワ・ツィオンゴ」みたいに発音したくなるんですけど、キクユ語を勉強すると、「グギ・ワ・ジオンゴ」なんだなというのがわかってきます。もっと言うと「ゴゲ・ワ・ジオンゴ」なのではないか、とかさらにめんどくさい方向へいくわけですが...

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あくまでも私がキクユ人何人かから聞き取った話なので、もしかすると正確ではないかもしれませんので、あくまで参考までに。
でも、違うカルチャーの話は、聞いていておもしろいですよね。

この件について、Wikipediaにかなり詳しく解説されているのを発見しました。

ja.wikipedia.org

 

キクユ語についてもかなり詳しいですね。キクユ語学習にWikipediaが役立つのかも...?

ja.wikipedia.org

ノーベル賞のニュースを見て考えたこと

今年のノーベル物理学賞に、日本出身の真鍋淑郎氏が選ばれたことが話題になりました。

www.nikkei.com

 

話題になっていたのは、60年も前に渡米し、50年以上前にアメリカ国籍を取得した真鍋氏を「日本人」と呼ぶべきなのか?彼がノーベル賞を受賞したのは果たして「日本の誇り」と呼ぶべきなのか?ということです。

news.yahoo.co.jp

 

個人的な考えを述べるならば、

①真鍋氏を「日本人」と呼ぶのは、あり。

②彼の功績を「日本の誇り」と言うのには無理がある。

という結論になります。

①については、「日本人」という括りは多様であり、どれかに引っかかれば「日本人」と言えるから、であり、②については、彼がノーベル賞を受賞した内容についての研究のほとんどがアメリカで行われたものだと考えられるためです。②はここまでにして、今回のブログでは①のテーマについて考えてみたいと思います。

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何をもって人を「日本人」と呼ぶか、というのにはいくつかあると思いますが、

日本国籍を持っている

・「日本民族」である

といった要素は非常にわかりやすいものだと思います。

真鍋氏は、1931年に愛媛県で生まれ、1958年に東大の博士課程を修了し、27歳で渡米しています。両親を「日本人」として、日本語を母語として、日本で育っている人なので、民族的に「日本民族」であると考えることは間違っていないでしょう。
例え彼がアメリカ国籍を取得し、日本に戻るつもりがないのだとしても、「彼は日本人ではない」と言い切るのは難しいと思います。彼はアメリカ人(国籍)ですが、同時に日本人(民族)でもある、と考えるのが妥当です。たとえば仮に彼が「自分はもう日本人ではない」と言ったとしても、です。

アイデンティティというものは重層的なものです。アメリカ人でありながら日本人であることはあり得るし、同時に愛媛っ子だったりとか、プリンストン市民の誇りみたいなのを持ってたりもするかもしれません。それは一人の人間の中に同時に存在し得るものです。

 

同じことは、2017年のノーベル文学賞受賞者であるイギリス人作家、カズオ・イシグロ氏にも言えると思います。

www.sankei.com

彼が渡英したのは5歳であり、真鍋氏と違ってかなりの幼少期に移住しています。とは言え、日本人の両親の元で育ち、家庭でも日本語で会話していたといいますから、「日本民族」という観点から彼を「日本人」と呼ぶのはありだと思います。

ただし、言っておかなければならないのは、彼らを「日本人」と呼ぶのはありだと思いますが、それに意味があるかどうかはまた別の問題だということです。
真鍋氏はアメリカの研究者として、イシグロ氏はイギリスの作家として活躍され、その功績が評価されてノーベル賞を受賞されている方たちです。彼らを「日本人」と呼ぶことに、自己満足以上の意味はないと思います。だからといって否定する気もないですけど。

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さて、ここから今年のもう一人のノーベル賞受賞者について考えてみたいと思います。

2021年のノーベル文学賞受賞者は、イギリスの作家アブドゥルラザク・グルナ氏でした。

www.nikkei.com

彼は、1948年ザンジバル島のインド系の家に生まれた人だそうです。1964年(15~16歳くらい)に起こった「ザンジバル革命」を逃れて、イギリスに亡命。イギリスで作家や大学教員として活躍されてきた方とのことです。
ザンジバル革命を経て、大陸側のタンガニーカとの連合が成立し、タンザニア連合共和国として社会主義国になりました)

ニュース等では「アフリカ人作家がノーベル文学賞を受賞」みたいな書き方をされていることが多いわけですが、果たして彼はアフリカ人作家と言えるのか?という話です。

私の結論は、「アフリカ出身の作家」とは言えるが、「アフリカ人作家」というのは難しいラインにあるのではないか、というものです。

確かに彼の母語スワヒリ語であるようです。スワヒリ語アラビア語の影響が強いとはいえ、れっきとしたアフリカ言語です。
一方で、スワヒリ語は「アフリカ人」だけの言語ではありません。タンザニアケニアなどのインド洋に面した海岸地方には、古くからインド系・アラブ系の住民が暮らしており、スワヒリ語は彼らの言葉でもあります。

彼を「アフリカ人作家」だというのであれば、彼と同じくらいのタイミングでザンジバルに生まれ、同じくザンジバル革命を逃れてイギリスに亡命したファルーク・バルサラという人物のことを考えるべきだと思います。
1946年ザンジバル生まれのインド系の人物であり、Queenというバンドのヴォーカリストとして活躍した人物です。フレディ・マーキュリーという名前の方が有名でしょう。

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彼のことを「アフリカ人ミュージシャン」だというなら、グルナ氏も「アフリカ人作家」なのかもしれません。私は、それにはかなり無理があると思いますけど。

そんなグルナ氏のアイデンティティに強い関心があります。
ザンジバルにおけるインド系住民というのは、おそらくマイノリティでありながら、マジョリティであるアフリカ系よりも経済的に豊かであるという立ち位置であったのだろうと想像します。彼の生まれた時代のザンジバル王国は、イギリスの保護国でしたから、イギリスによるアラブ人/インド人/アフリカ人という分割統治の影響も強かったでしょう。
そんな中で、少年グルナ氏はどんなアイデンティティを持っていたのか?インド人なのか、ザンジバル人なのか、アフリカ人というアイデンティティはあったのだろうか?タンザニアという国はまだ成立していなかったわけで、少なくとも彼は自分をタンザニア人だとは思ってなかったはず。

実際、上記の日経の記事に『タンザニアの新聞では「今年のノーベル文学賞タンザニアではあまりなじみのない作家の受賞が決まった」と報じられているという』という記述があります。そうなんでしょうね。タンザニアからしてみたら、彼は革命で追い出した「インド人」のうちの一人にすぎません。
ザンジバル革命社会主義革命でありながら、ナショナリズムレイシズム的な性格も強く持っていて、多くのインド系・アラブ系の住民が虐殺されたそうです。アラブ系・インド系を支配者層、アフリカ系を被支配者層としたイギリスの分割統治の影響が強かったのだろうと思います。

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日本にいると、国民の大多数が「日本民族」なので、「民族」というものを意識することがありません。(実際には、アイヌ琉球在日コリアンとかそれだけじゃなくて、めちゃくちゃ色々あるわけですが、とても書ききれないので今回はやめときます)

一方で、タンザニアには「タンザニア民族」というものはありません。(ケニアにも「ケニア民族」なんてものはありません)
だいたい旧植民地の国は、宗主国の都合で国境が引かれているので、国内に複数の「民族」が存在するのが普通なのです。タンザニアには130もの民族集団がいるそうです。彼らはタンザニア国民なわけですが、同時にスクマ族だったりニャキューサ族だったり、マサイ族だったりするわけです。

現在タンザニア自治領となっているザンジバル島で生まれたスワヒリ語母語とするインド系の少年が、イギリスに亡命して英語で執筆する作家になったとして、彼は何者と呼ばれるのか?あるいは彼自身は自分を何者だと考えているのか?なんてことを想像するのは楽しくないですか?

「民族」って概念はそうシンプルなものじゃあないんですよ。

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「アフリカ人作家」というならば、「脱植民地の文学を書くなら、英語で書くなんてありえない。アフリカの言葉で書く」と言って、今では母語のキクユ語での著作に専念しているグギ・ワ・ジオンゴノーベル賞受賞が待たれるところですね...

アフリカのことわざ

日本の第100代内閣総理大臣に就任した岸田文雄氏が、所信表明演説でアフリカのことわざを引用したことが話題になっています。

news.yahoo.co.jp

早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」

英語だと、“If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.”というそうなんですが、Googleで検索してみると、「実はアフリカのことわざではない」という説や、「いややっぱりアフリカのことわざらしい」という説など、色々あって真偽は定かではないというのが実際のところです。

首相の所信表明演説でアフリカのことわざが使われた、というのはネット検索する限りそんなに海外で話題にはなってないですね...

 

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せっかくのタイミングなので、スワヒリ語のことわざをいくつか紹介したいと思います。
オンラインでスワヒリ語の勉強をしていて、スワヒリ語のことわざを教わったので、復習がてらやってみます。
日本のことわざと似たものもあれば、「?」ってなるものもあります。お楽しみを。

 

① Fimbo mbali haiuwi nyoka. ー 遠くにある棒ではヘビを殺せない

「遠くの親類より近くの他人」みたいな意味だそうです。

 

② Dalili ya mvua ni mawingu. ー 雨の予兆は雲

こっちは「火のない所に煙は立たぬ」みたいな意味のようです。

 

③ Akili ni nywele, kila mtu ana zake. ー 脳は髪のようなもの、人それぞれ。

十人十色みたいな感じでしょうか。例えがよくわからない...笑

 

④ Siku njema huonekana asubuhi. ー 良い日は朝から始まる

「始めよければ終わりよし」でしょうかね。

 

⑤ Dawa ya moto ni moto. ー 炎の薬は炎

これは何度も説明してもらっても中々意味が分からなかったのですが、どうも「毒を以て毒を制す」みたいな感じの意味らしいです。

 

⑥ Akili ni mali. ー 知恵/頭脳は財産

⑦ Akiba haiozi. ー 貯金は腐らない

⑧ Kila jambo wa wakati wake. ー 物事は一度に一つしかできない

この辺はそのまんまですね(笑)

 

⑨ Haba na haba hujaza kibaba. ー 少しづつの積み重ねが入れ物をいっぱいにする

「塵も積もれば山となる」ですね、これは。

 

⑩ Haraka haraka haina baraka. ー 急げ急げに祝福なし

「善は急げ」とは反対です。ケニアらしいことわざ...?笑 韻を踏んでていいですね。

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特に写真に意味はありません

⑪ Bahari haivukwi kwa kuogelea. ー 海を泳いで渡ることはできない

海岸地方のことわざだそうです。そりゃインド洋は泳いでわたれないでしょうね...

 

⑫ Jogoo wa shamba haiwiki mjini. ー 畑の雄鶏は、町では鳴かない

「適材適所」かと思いきや、「郷に入っては郷に従え」みたいな感じの意味らしいです。ちょっとわからない...

 

⑬ Asiyefunzwa na mamaye hufunzwa na ulimwengu. ー 母親から教わらなかった人は、世界から教わることになる

これは、「世間知らずのままだと、世の中に出た時に世間の厳しさに直面するよ」ということらしいです。

 

⑭ Bahati haiji mara mbili. ー 幸運は2度は来ない

これは、「幸運の女神には前髪しかない」っていうヨーロッパのことわざみたいですね。チャンスは一度だけなので機を逃すな、という。

 

⑮ Thamani ya taani kiza kiingiapo. ー 光の価値は暗闇がやってきたときにわかる

「失って初めて大切さがわかる」という話なのか、「そういう場面になって初めてわかることがある」という話なのか、どっちでしょうね...?

 

⑯ Ahadi ni deni. ー 約束は借金

約束を守りなさい。踏み倒してはダメ!

 

⑰ Hakuna refu lisio na nsha. ー どんなに長くとも終わりのないものはない

「やまない雨はない」、「明けない夜はない」系のやつですね。

 

⑱ Mvumilivu hula mbivu. ー 忍耐強い人は熟したものを食べる

忍耐は報われる。「石の上にも三年」ですかね。

 

⑲ Milima haikutani lakini binadamu hukutana. ー 山と山は出会わないが、人と人は出会う

これは二本松訓練所でのスワヒリ語クラスの最後に、先生が教えてくれたことわざです。わりとスワヒリ語の定番のことわざのようです。

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いかがでしたでしょうか?

「その言語や文化を学ぶには、ことわざを学ぶのが良い」と私のスワヒリ語の先生は言ってました。それも一つの真のように思います。

使えそうなやつがあれば、スピーチにでも取り入れてみてください。岸田首相のように注目を受けること間違いなし!(いや、どうかな~...笑)

ケニアのラーメン事情

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ケニアに来てもお世話になる食べ物、それはラーメン

ケニアに来てからもう半年経過してしまいました。任期は残り1年半。何かできている気が全然しないですし、この2ヶ月は活動らしい活動もできておらず。本題とは離れたところでは色々とあるんですけどね...ちょっと焦ります。

 

さて、そんな前置きはさておき、今回はラーメンの話をします。

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世界の農心。辛ラーメン

先日、Facebookのストーリーに辛ラーメンの写真をアップしたところ、他国の同期から「どの国にもある辛ラーメン🤣」というコメントをもらいました。
世界的に有名な韓国のインスタントラーメン、辛ラーメン
コロナ禍においてますます絶好調なようです。

www.businessinsider.jp

 

もちろんケニアでも辛ラーメンは販売されています。しかし、首都ナイロビでは販売されている一方で、私の任地ティカではほとんど見かけません。ナイロビ近郊の都市と言ってもいいティカでさえ辛ラーメンがないとすると、他の地域でもあまり見かけないのではないかと予想します。

しかし、ナイロビでもティカでも、どこのスーパーに行っても必ず置いてあるラーメンがあるのです。それは...

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インドネシアの雄、インドミー

それはインドミー。
インドネシア国民食と言われているそうですが、これだけはどこへ行っても山積みで売られています。

その一つの要因として、インドミーはケニア国内で生産されていることがあると思われます。インドミーはインドネシアのブランドなんですけど、世界各地に生産拠点を持っているようです。

HPによるとモンバサに工場があって、ケニア国内とウガンダタンザニアでも販売されているとのことです。

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種類も豊富で、ベーシックなチキンのほかに、ビーフ、Supa Mojo(何味??)、プレミアチキン、チキンカレーがあり、さらにミーゴレンまであります。

 

ケニアは東アフリカ地域では比較的工業が強いそうで、食品工業製品を周辺国に輸出しているそうです。
それならば、ケニアオリジナルのラーメンはないのか?
あるんです。

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国産インスタントラーメン、ヌーディーズ。

製造しているのはBidco Africaという食品メーカーなんですが、なんと本社はティカにあります。

そういえばこの会社の横を何度も通ったことがあるな!と、調べてて気が付きました。ティカは食品工業系の企業が多い街なのですが、インスタントラーメンまで作っているとは...!
でも、このヌーディーズはティカでは未だに見かけたことがありません。ナイロビのショッピングモールで見かけて買ってきました。お膝元ではインドミー一強です。

ちなみに、お味はトマト&オニオンということで、いまいちラーメン感なし...笑
スタンダードにチキン味にすれば良かったですね。次ナイロビに行く機会があれば買ってきます。

 

さて、インスタントラーメンと言えば元祖は日本。
日本のインスタントラーメンは売られていないのか?という疑問もあると思うのですが、日清食品ケニアでインスタントラーメンを販売していたという情報は確認しています。

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ニャマチョマ・フレーヴァ...笑

ただ、今までこの商品の現物を見かけたことはありません...
食べてみたいんですけどね~。

 

ケニア人にとって、ラーメンとは?ということを職場の人に聞いたことがあるのですが、どうやら「ヌードルなんてものは子供が食べるもの」みたいなイメージがあるみたいです。ケニア人たるものウガリを食べるのだ、みたいな。
もしかすると、若い世代では考え方が違ったりするかもしれません。

 

ケニア日本式ラーメンが食べられるお店と言うと、ナイロビの「Chekafe」が有名なようです。まだ行ったことはありません。

あと、「陣屋食堂」。

 

ところで、差し入れのインスタントラーメン率が高いのは、JOCV隊員あるあるなんでしょうか(笑)?

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ありがたいですね。
日持ちするし、手軽に食べられるので。

予防接種の話

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ナイロビのショッピングモール

先日、2回目のワクチン接種を完了しました。

JOCV派遣再開の早いタイミングで派遣された隊員の中には、Covidワクチン未接種のまま出国した人がいます。私もそのうちの一人でした。

そういった隊員たちには、日本に一時帰国してワクチン接種をするという制度があり、それを利用するのが一般的なようです。

ケニアでは、ありがたいことに国内でワクチン接種ができることになりました。

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証明書はこんな感じです。日本入国の際に、ケニア政府の証明書は有効な書類として認めてもらえないようですが...

普通は2回目の方が副反応がきついらしいですが、私の場合は大したことなかったですね。軽い頭痛が何日か続いたくらいで。
逆に1回目の方が、風邪ひいた時みたいにだるくてしんどかったです。
これであと2週間くらいすれば、抗体ができるというわけです。日本よりも医療事情の良くない国で、Covidに感染して入院したり、死んだりする可能性がぐっと下がるというだけでかなりの安心感です。ワクチン様々です。

 

日本ではモデルナとファイザーが一般的だそうですが、こちらではオックスフォード/アストラゼネカがメインです。おそらくCOVAXで入ってきたものでしょう。

www.unicef.or.jp


その後、モデルナ、ファイザージョンソン・アンド・ジョンソンなど色々なワクチンが入ってきています。


それにしてもまだワクチン接種率3%という状況の中で、ワクチン接種をさせてもらってとてもありがたいんですけど、同時に申し訳なくもあり。

その分がんばって活動しろってことですね!

キクユ語が難しい話

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「Yu」という名前は英語話者にとってややこしくてわかりにくいので、自己紹介の時は「Kagase」って名乗ってるんですけど、発音しにくいのかカウンタパートは「Kangase」って呼ぶし、たまに前の隊員の名前で呼ばれるし、あと他の人たちは勝手に「Njoroge(ジョロゲ)」とか「Kamau(カマウ)」とかってキクユネームをつけて呼んでくるので、色んな名前で呼ばれすぎて自分の名前がわからなくなった犬のようになっています。

さて、キクユ語が難しいという話なのですが、特に発音で苦戦します。
スワヒリ語という言語は、母音が5つ(a,e,i,o,u)で、かつ基本的に子音と母音が1対1で組み合わされ、アクセントは後ろから2番目の母音という明確なルールがあるため、日本語話者にとって発音しやすい言語だと思います。発音の難しい子音も少ないですし。

一方のキクユ語は、母音が7つあるのがまずめんどくさい。
a,e,i,o,uの5つに加えて、ĩ(iとeの中間の音)と、ũ(uとoの中間の音)というのがあるんですよね。かつてドイツ語を学んだ身としては「ウムラウト(ä、ö、ü)と同じじゃーん」と思ったんですが、めんどくさいのはめんどくさいですよね。

キクユ語は正書法が確立されているので、キクユ語で書かれていれば「ĩ」とか「ũ」みたいに発音補助記号が付いているわけですが、厄介なのは英語/スワヒリ語の中にキクユ語の人名とか地名が出てきた場合ではないでしょうか。

例えば、私が住んでいる場所は「Thika」といいます。
いつも便宜上「ティカ」と表記していますが、”th”の発音は、英語/スワヒリ語では発音記号[θ]で表される音です。日本語だと「ティカ」と「シカ」の中間みたいな感じでしょうか。舌先を前歯の間に挟んで発音するやつです。”think”と同じ音です。

これが、キクユ語になると、まず"th"の音が有声子音[ð]になるようです(キクユ語はわりと有声音化しがちです)。そして、"i"は”ĩ”の音になるようで、キクユ語発音では「ゼカ」って聞こえます。もう全然わかりません。
(そもそも、Thikaという地名の由来はマサイ語にあるという説が有力らしいのですが、それ以上はややこしくなるのでやめときます)

こういう、”i”って表記されてるのに実際の発音は「エ」、"u"って表記されてるのに実際の発音は「オ」というパターンにしばしば遭遇します。

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人名でもそうで、例えば前述した「Njoroge」というのはキクユ人男性の名前なのですが、スワヒリ語読みすると「ンジョロゲ」になります。日本語のように”ン”をはっきりと発音せず、かつアクセントが後ろから2番目の母音に来ることを考慮すれば、「ンジョローゲ」くらいがリアリティのある発音でしょうか。
これがキクユ語発音となると、「ジョローゲ」です。キクユ語では「"nj"と"nd"の”n”は発音しない」という発音規則があるためです。「ン」など飾りですよ。
ややこしいことに、語頭だけでなくて、語中にそんざいするndとnjにも適用されるので、「kenda」(数字の9)の発音は「ケダ」になります。

「Mburu」というキクユ人の男性の名前だと、スワヒリ語発音なら「ンブル」みたいな感じでしょうけど、キクユ語では「ブル」、下手すると「ボロ」に聞こえます。どうやらこの名前の"u"は、実際には"u"じゃなくて"ũ"らしいんですよね...なので、文字で見て名前を知ってるつもりでも、音で聞き取れないこともしばしば。

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他の事例だと、スワヒリ語で父のことを「baba(ババ)」と言います。父なのにババ。
それはさておき。キクユ語でも父のことをbabaと表記するのですが、キクユ語では"b"を"f"の発音で読むので、「baba(ファファ)」です。

ティカの東の端の地域は「Giliba」と言います。
これを英語/スワヒリ語で発音すると「ゴリバ」になるわけですが、実際のところ地元の人は「ゴリファ」というみたいです。
なんかこういうの、正書法を決めるときにもう少しやりようはなかったのでしょうか...って思ってしまいますね。

キクユ語だと”ch”は"sh"の音で発音されるので、私に「China!」って言ってくる人たちの発音も「シャイナ!」になりがちとかね。

そもそも「キクユ」という呼称自体、英語/スワヒリ語で「Kikuyu」って表記されているものの日本語読みなわけですけど、キクユ語だと「Gĩkũyũ」らしいのです。「ギクユ」、いやどっちかというと「ゲコヨ」でしょうか。

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アクセントもまだいまいちつかめてなくて、キクユ語での基本的なあいさつに「wĩmwega(ウェムエガ)=How are you?」→「ndĩmwega(デムエガ)=I'm fine」っていうのがあるんですけど、何回教わって、実際に口にしても未だに正しいアクセントがわかりません。
なんとも掴みどころがない感じがします。

そんなややこしいキクユ語ですが、約600~700万の話者人口がいるそうです。キクユ語話者の大半は母語がキクユ語のはずなので、おそらくスワヒリ語母語とする人よりも多いと思います。(スワヒリ語ケニア公用語ですが、母語とする人は海岸地域などの人々に限られるので)
キクユ語のラジオとかテレビ放送もあるんです。

週一回オンラインで勉強してるだけなので、なかなか上達しないのはしょうがないですけど、ちょっとずつ勉強していきたいと思います。

ワールド・クリーンアップ・デイ

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2021年9月18日はWorld Cleanup Day(ワールド・クリーンアップ・デイ)だったのをご存じでしたか?
私は最近知りました。

ワールド・クリーンアップ・デイについては、日本版のホームページのリンクを張っておきますので、詳しいことが知りたい方はお読みください。

worldcleanupday.jp

要するに、この日は世界中で清掃活動をやろうぜ!という日であり、私の配属先もばっちりそれに乗っかっているということです(笑)それはそれでいいんですけどね。

カウンタパートたちはここ数週間、協賛企業などに文書を届けに行ったりしてとても忙しかったようです。(私は置いてけぼりですが...)
そんな地道な活動の甲斐があって、いくつもの企業から、長靴やナタ、草刈りなどの道具をはじめ、水や炭酸飲料、牛乳、パン、お菓子などの食品、マスクやゴム手袋、ハンドサニタイザーなどの衛生用品まで、多くの寄付をもらったようです。

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食品類

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道具類

今年のワールド・クリーンアップ・デイは、我らがキアンブ・カウンティ水・環境・エネルギー・天然資源部(その中でも特にティカ環境事務所が主力に)と、NEMA(National Environment Management Authority。要するにケニア環境省ですね)が主催し、ティカの企業数社と、大学・専門学校の学生たち、地元住民らが参加しての清掃・植林イベントでした。
今年の清掃活動の舞台は、ティカの中央部に位置する、ガチャギ(キクユ語では”ガシャギ”)という名のスラムです。ティカには、キアンブ・カウンティ最大級のスラムと言われているキアンドゥトゥ・スラムがあって、そこは危ないから近付いてはいけないと言われているのですが、ガシャギは大丈夫なんでしょうか...?まぁ大丈夫だからやるんでしょうけど。

事前に配布された予定表では、午前9:00開始で14:00終了・解散。案外すぐに終わるのだなと思ってたんですが、甘かった。ここは日本じゃなくケニアなんですよね。

8:00くらいに出発する!って言ってるのに、8:00になっても事務所の鍵は開いておらず。担当の人が来て鍵を開けたはいいけど、今度は荷物を積む車が来ず。
時間があるうちに水などの荷を運んでおくか、と思って運んでたら、「スタッフたちがたくさんいるから、あなたは運ばなくていいんだよ!」と諭されてしまう始末...しょうがない、これがケニア式なので(笑)

ゴミ収集は土曜日もあるので、ティカ環境事務所からの参加メンバーの多くは路上清掃員たちです。清掃業務は職種によって結構な性別による差があって、例えばトラック運転手は全員男性。トラックに乗ってゴミの収集を行う収集員も、数名女性がいるものの、ほとんどが男性です。
それに対して、路上清掃員はほとんどが女性。路上清掃員の女性比率の多さゆえに、ティカ環境事務所全体として男性が4未満、女性は6超という比率になっています。20代から50代までの個性豊かな面々です。

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ガシャギ・スラム。手前の燃えた跡は、野焼きをした後のようです

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ガリッサ・ロードという幹線道路沿いに位置しています。

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ガシャギの西端部にある大きな木

日頃、ちゃんと会ったらあいさつするようにしてますし、スワヒリ語とキクユ語もちょっと上達したおかげで、だいぶみんなと打ち解けてきた感がありますね。
最近は隊員活動は満足にできてないですけど、こういうのも大事!

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いっしょに写真を撮ってもらいました

そして、ガシャギに9:30くらいに到着したはいいものの、他の企業とか学校の人々がなかなか集まらず、けっきょく2時間以上遅れてスタート(苦笑)何人かに聞いたところ、「これがケニアだからね!」「これがアフリカさ!」と言われたので、平常運転ということでいいと思います。
逆に、イベントを企画することがあったら、それくらいの時間の遊びを持ってやる必要があるってわけです。勉強になるなぁ...

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作業してるポーズを取れって言われたので...w

イベントの規模はけっこう大きくて、たぶん100~200人くらいは参加してるはず。
肝心の清掃活動が始まったわけですが、時間の関係上なのか、元々そうなのか、ガシャギ・スラム内には立ち入らず、幹線道路沿いを進みながら清掃をしていくというスタイルでした。
とは言え、住民が長期にわたってゴミを捨てているであろうゴミ溜めをさらったりとか、写真は載せませんが、イヌの死骸をゴミと一緒に燃やした跡に遭遇したりとか(もうそんなものでは驚きませんよw)、日本ではなかなか味わえない愉快な清掃活動を堪能しました。

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子供たちもおもしろがって見に来ました

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ゴミ溜めさらい

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ガシャギ・スラム、中はどんな感じなんでしょうね

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作業風景。人がたくさん

作業をしながら幹線道路沿いを進んでいくと、Thika Children's Rescue Centre(ティカ・チルドレンズ・レスキュー・センター)という児童福祉施設に到着します。そこがこの後の植林イベント、寄付でもらった食品類の配布、スピーチなどが行われる会場です。

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先週このレスキューセンターに寄贈したゴミ箱

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植林イベントです。正直、この植林は素人目にもいい加減な気がするのですが...

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驚くことに、清掃活動も植林も終わったその後が長いんですね。
貸し出した道具をちゃんと数えて回収して、みんなに飲み物と食べ物を配って、一休みした後で、偉い人のスピーチとか、学生たちの出し物が2時間くらいあるんですよ。
そんなのみんな寝ちゃうよ...って思うんですが、意外とみんな寝ません。真面目に聞いてはいませんが...私は眠いです。

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おやつ。他に水と炭酸飲料と牛乳と食パンが配布されます。特に子供たちに。

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コロナ禍なので、当然ながら屋外でやります

そんなこんなで、2時間遅れの午後4時くらいにお開きに。
今日は日差しが強く、気温も高い日でしたが、ケニア中央高地は湿度が低いのでさらっとしてて過ごしやすいですね。紫外線はめちゃくちゃ強烈ですが。

正直を言えば、このイベントをやることでティカの環境が大きく改善されるわけでも、人々の意識が大きく向上するわけでもないと思います。ある意味、儀式的なものです。
とは言え、人が生きていくうえで儀式的なものの意味がないとは言い切れないので、その”儀式性”を残しつつ、実効性を少しでも高めるというのがこういうイベントに必要なことかもしれません。

個人的には、こういうイベントに参加するのは初だったので、学ぶことは多かったですし、NEMAなどの他の機関に知り合いができたので、有意義だったと思います。
何より、屋外での活動は楽しいですね。きっとまた来年も参加するので、次は運営側に回れるといいな、と思います。

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小さなカメムシ

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ケニアにも”くっつき虫”があります!