ノーベル賞のニュースを見て考えたこと
今年のノーベル物理学賞に、日本出身の真鍋淑郎氏が選ばれたことが話題になりました。
話題になっていたのは、60年も前に渡米し、50年以上前にアメリカ国籍を取得した真鍋氏を「日本人」と呼ぶべきなのか?彼がノーベル賞を受賞したのは果たして「日本の誇り」と呼ぶべきなのか?ということです。
個人的な考えを述べるならば、
①真鍋氏を「日本人」と呼ぶのは、あり。
②彼の功績を「日本の誇り」と言うのには無理がある。
という結論になります。
①については、「日本人」という括りは多様であり、どれかに引っかかれば「日本人」と言えるから、であり、②については、彼がノーベル賞を受賞した内容についての研究のほとんどがアメリカで行われたものだと考えられるためです。②はここまでにして、今回のブログでは①のテーマについて考えてみたいと思います。
何をもって人を「日本人」と呼ぶか、というのにはいくつかあると思いますが、
・日本国籍を持っている
・「日本民族」である
といった要素は非常にわかりやすいものだと思います。
真鍋氏は、1931年に愛媛県で生まれ、1958年に東大の博士課程を修了し、27歳で渡米しています。両親を「日本人」として、日本語を母語として、日本で育っている人なので、民族的に「日本民族」であると考えることは間違っていないでしょう。
例え彼がアメリカ国籍を取得し、日本に戻るつもりがないのだとしても、「彼は日本人ではない」と言い切るのは難しいと思います。彼はアメリカ人(国籍)ですが、同時に日本人(民族)でもある、と考えるのが妥当です。たとえば仮に彼が「自分はもう日本人ではない」と言ったとしても、です。
アイデンティティというものは重層的なものです。アメリカ人でありながら日本人であることはあり得るし、同時に愛媛っ子だったりとか、プリンストン市民の誇りみたいなのを持ってたりもするかもしれません。それは一人の人間の中に同時に存在し得るものです。
同じことは、2017年のノーベル文学賞受賞者であるイギリス人作家、カズオ・イシグロ氏にも言えると思います。
彼が渡英したのは5歳であり、真鍋氏と違ってかなりの幼少期に移住しています。とは言え、日本人の両親の元で育ち、家庭でも日本語で会話していたといいますから、「日本民族」という観点から彼を「日本人」と呼ぶのはありだと思います。
ただし、言っておかなければならないのは、彼らを「日本人」と呼ぶのはありだと思いますが、それに意味があるかどうかはまた別の問題だということです。
真鍋氏はアメリカの研究者として、イシグロ氏はイギリスの作家として活躍され、その功績が評価されてノーベル賞を受賞されている方たちです。彼らを「日本人」と呼ぶことに、自己満足以上の意味はないと思います。だからといって否定する気もないですけど。
さて、ここから今年のもう一人のノーベル賞受賞者について考えてみたいと思います。
2021年のノーベル文学賞受賞者は、イギリスの作家アブドゥルラザク・グルナ氏でした。
彼は、1948年ザンジバル島のインド系の家に生まれた人だそうです。1964年(15~16歳くらい)に起こった「ザンジバル革命」を逃れて、イギリスに亡命。イギリスで作家や大学教員として活躍されてきた方とのことです。
(ザンジバル革命を経て、大陸側のタンガニーカとの連合が成立し、タンザニア連合共和国として社会主義国になりました)
ニュース等では「アフリカ人作家がノーベル文学賞を受賞」みたいな書き方をされていることが多いわけですが、果たして彼はアフリカ人作家と言えるのか?という話です。
私の結論は、「アフリカ出身の作家」とは言えるが、「アフリカ人作家」というのは難しいラインにあるのではないか、というものです。
確かに彼の母語はスワヒリ語であるようです。スワヒリ語はアラビア語の影響が強いとはいえ、れっきとしたアフリカ言語です。
一方で、スワヒリ語は「アフリカ人」だけの言語ではありません。タンザニアやケニアなどのインド洋に面した海岸地方には、古くからインド系・アラブ系の住民が暮らしており、スワヒリ語は彼らの言葉でもあります。
彼を「アフリカ人作家」だというのであれば、彼と同じくらいのタイミングでザンジバルに生まれ、同じくザンジバル革命を逃れてイギリスに亡命したファルーク・バルサラという人物のことを考えるべきだと思います。
1946年ザンジバル生まれのインド系の人物であり、Queenというバンドのヴォーカリストとして活躍した人物です。フレディ・マーキュリーという名前の方が有名でしょう。
彼のことを「アフリカ人ミュージシャン」だというなら、グルナ氏も「アフリカ人作家」なのかもしれません。私は、それにはかなり無理があると思いますけど。
そんなグルナ氏のアイデンティティに強い関心があります。
ザンジバルにおけるインド系住民というのは、おそらくマイノリティでありながら、マジョリティであるアフリカ系よりも経済的に豊かであるという立ち位置であったのだろうと想像します。彼の生まれた時代のザンジバル王国は、イギリスの保護国でしたから、イギリスによるアラブ人/インド人/アフリカ人という分割統治の影響も強かったでしょう。
そんな中で、少年グルナ氏はどんなアイデンティティを持っていたのか?インド人なのか、ザンジバル人なのか、アフリカ人というアイデンティティはあったのだろうか?タンザニアという国はまだ成立していなかったわけで、少なくとも彼は自分をタンザニア人だとは思ってなかったはず。
実際、上記の日経の記事に『タンザニアの新聞では「今年のノーベル文学賞はタンザニアではあまりなじみのない作家の受賞が決まった」と報じられているという』という記述があります。そうなんでしょうね。タンザニアからしてみたら、彼は革命で追い出した「インド人」のうちの一人にすぎません。
ザンジバル革命は社会主義革命でありながら、ナショナリズム・レイシズム的な性格も強く持っていて、多くのインド系・アラブ系の住民が虐殺されたそうです。アラブ系・インド系を支配者層、アフリカ系を被支配者層としたイギリスの分割統治の影響が強かったのだろうと思います。
日本にいると、国民の大多数が「日本民族」なので、「民族」というものを意識することがありません。(実際には、アイヌや琉球、在日コリアンとかそれだけじゃなくて、めちゃくちゃ色々あるわけですが、とても書ききれないので今回はやめときます)
一方で、タンザニアには「タンザニア民族」というものはありません。(ケニアにも「ケニア民族」なんてものはありません)
だいたい旧植民地の国は、宗主国の都合で国境が引かれているので、国内に複数の「民族」が存在するのが普通なのです。タンザニアには130もの民族集団がいるそうです。彼らはタンザニア国民なわけですが、同時にスクマ族だったりニャキューサ族だったり、マサイ族だったりするわけです。
現在タンザニアの自治領となっているザンジバル島で生まれたスワヒリ語を母語とするインド系の少年が、イギリスに亡命して英語で執筆する作家になったとして、彼は何者と呼ばれるのか?あるいは彼自身は自分を何者だと考えているのか?なんてことを想像するのは楽しくないですか?
「民族」って概念はそうシンプルなものじゃあないんですよ。
「アフリカ人作家」というならば、「脱植民地の文学を書くなら、英語で書くなんてありえない。アフリカの言葉で書く」と言って、今では母語のキクユ語での著作に専念しているグギ・ワ・ジオンゴのノーベル賞受賞が待たれるところですね...