ケニア・ティカの観光スポットを紹介します!
みなさん、こんにちは!
JICA海外協力隊の加賀瀬です。
皆さんはティカの観光地、フォーティーン・フォールズ(Fourteen Falls)を知っているでしょうか?
おそらく、余程のケニア通であっても知らないのではないかと思います。
そんな知られざる観光地へ行ってきました。
とは言っても別に遊びに行ったわけではないです。お仕事の一環ですよw
この記事では、ケニア・ティカにある観光地フォーティーン・フォールズの基本知識と特徴を解説します。この記事を読むことで、フォーティーン・フォールズ旅行の予習をすることができます。
他の隊員のパクりはここまで。PR記事とか絶対無理...書いててぞわぞわしちゃいますね(笑)
さて、現在ではティカ・サブカウンティという一つの自治体になっているのですが、昔はティカ・ウェストとティカ・イーストの2つに別れていたそうです。
私の家や職場のあるティカタウンを中心とするエリアがウェストで、このフォーティーン・フォールズなどがあるちょっと田舎なエリア(失礼)がイーストです。
ティカはデルモンテのパイナップル・プランテーションで有名なのですが、それはこのイーストエリアに広がっています。
フォーティーン・フォールズは、キアンブとマチャコスの2つのカウンティの境界となっているアツィ/ガラナ川(Athi-Galana river)にある大きな滝です。
こんなに風光明媚な滝なのに、なぜ知名度が低いのか。
それはまあ、ケニアには有名な自然公園がたくさんありますし、ここでは野生動物がたくさん見られるわけでもないですし、など色々と理由は挙げられます。
しかし、それ以上に決定的な理由があるのです。おそらく日本人観光客はここへ来ようとは思わないでしょうし、万が一来た人がいたとしたら二度と来ないであろう理由。
それは、”環境”の面で最悪だからです...
つまりここは、風光明媚なドブ川なんです...何という残念な観光地。
なぜこんなに残念なことになっているかというと、やはりナイロビとキアンブという人口集中地域を流れてくるというのが理由でしょう。
汚水処理も廃棄物管理も未熟なこの国では、川は汚れるに任せる他ないのでしょうね...
それにしても、ここは河口まで直線距離で400kmくらいの上流に位置しているんですが、この汚れ具合。河口付近はどうなっちゃってるんでしょうね。想像したくないですね...
今回ここへやってきたのは、カウンティの観光部署や林業、環境部署と、民間団体などが共同で行うプロジェクトの打ち合わせのためです。
ゴミ拾いや植林などの活動を行う予定です。水質汚染はどうにもなりませんが...
キリマンボゴは川の向こう側、マチャコス・カウンティ内に位置しています。
周辺には実際に今でもバッファロー(アフリカスイギュウ)の生息地があるようです。
山の周辺は、Ol Donyo Sabuk(オル・ドニョ・サブク、でいいのかな...?)国立公園になっています。そのうち行ってみたいものです。
ハイウェイ
最近になって寒くて曇りがちな気候から、気温がぐっと上がって、晴れの日が増えてきました。良い気候です。洗濯物がよく乾くので気分がいいですね!
天気が良くて気分が良いので、ちょっと散歩に行くかという気にもなります。
いまだに人の目を気にしてあまり写真を撮れずにいるのですが、「人があまりいないところへ行けば写真をたくさん撮れるのでは?」ということで、高速道路沿いを歩いてみることにしました。
ナイロビから北東方向に、スーパーハイウェイと呼ばれる高速道路が伸びており、キアンブ・カウンティの東部を縦断して、さらに北のムランガやエンブといったカウンティへと続きます。
私の住むアパートは、ほとんど高速道路沿いの立地です。
日差しが強く、気温が30℃近くまで上がってるんですが、道沿いを歩いていても湿度が低くてさらっとしていて非常に快適です!風があって気持ちがいい。
道端の木の木陰で涼んでいる人もよく見かけます。何もない高速道路沿いで何をしているのだろう...という話なんですけど(笑)
高速道路とはいっても、日本のとは違ってます。国道の立派なもの、みたいな感じです。自転車(ロードバイク)で走ってる人もたまにいますし、場所によっては、横断歩道が設置されていたりします。信号がなくて、車のスピードを落とすためのバンプ(段差)が設置されていますが、それにしたって高速道路を歩いて渡るのは怖いですよね...
ケニアでは日本のように鉄道網は発達していませんので、マタツやバスなどが都市間移動の主要交通手段となります。マタツやバス乗り場であるステージは、言わば日本の駅のような存在であり、周辺には露店や屋台が並びます。
ティカからナイロビへ通勤している人も結構多いそうですし(ナイロビの家賃は高いので)、物流の要でもある、非常に重要な道路です。
ここはナイロビ・ティカ間のスーパーハイウェイの第3区で、2012年11月に、当時のムワイ・キバキ大統領によって開通されたと書かれています。
気候がよくなってきたので、また折を見て街歩きしたいと思います。
本屋さんの話
日本からケニアに来るときに、辞書はかさばるし重たいので日本に置いて来たんです。
そして、ナイロビ滞在期間中に購入したわけなんですが、英語→スワヒリ語の辞書をケチって安いのにしたら、語彙は少ないわ訳は不正確だわで、絵に描いたような「安物買いの銭失い」状態になったわけです。
それで、どこかのタイミングで英スワ辞書を買おうかと思っていたんですが、せっかくならティカで本屋を探して買ってみようと思ったのです。
ティカ市内には、本を売っている露店が立ち並んでいるエリアがありまして。
いくつかの店で、英スワ辞書があるか聞いたんですが、置いてないと。
そして、何軒目かで「あるよ!」と言って持ってきたのがあれです。
「もうちょっとマシなのないの?」って聞いたら、良さげな辞書を持ってきてくれたのですが、それが「スワヒリ語→英語辞書」であることに気が付かなかったのが、私の運の尽きでした(しかもすでに持ってるやつなのに!笑)ナイロビでの新品価格で買っちゃったし...
後で気が付いて店に戻ったわけですが、何だかいまさら返品しろとも言いにくいし、また冒頭のぼろぼろのやつに交換してもらったというオチです。
この手の露店も良し悪しで、例えば野菜や果物を買うならこういうところの方がスーパーで買うより安いし、食品や日用品も大丈夫だと思うんですけど、やっぱり本みたいなものはこういう店で買うものじゃないな、と身をもって学びました。
本は本屋。ちなみに、この本の露店街の近くに本屋があるみたいです。結局まだ行ってないのですが...
じわじわと
またブログに間が空いてしまいました。
先週はぜんぜん現場に出てなくて、週末もこのご時世では気軽にどこかに遊びに行くというのも気が引けるし...ということで、深刻なネタ切れ状態です。
さて、日本では過去最大レベルの流行になっていますが、こちらでもじわじわと広がってきています。Covidの魔の手が。
カウンタパートたちの会話でも、誰それがコロナで死んだらしい、といった話が出てくるようになりました。
先月からすでに感染急拡大の傾向にあったので、予想されていたことではあるんですけどね。やはり人間というのは身近な分かりやすい事象が起こらないと、危険を実感できないようです。(これはコロナの話に限らず、災害などでも同じだと思います)
一方で、「うちの近所には夜中に闇営業しているバーがあって、人々が密になって夜中中飲んでるんだけど、そこでコロナの感染が広まってるって話は聞かないんだよね。何でなの?」なんて話をする人もいます。
私としては、たまたま誰も感染してないので広まっていないだけであって、一旦その中の誰かが感染したら一気に広まるんじゃない?と考えるわけですが、ケニア人の場合はここで宗教の話が出てくるのです。つまり、「あんな不道徳な人たちをなぜ神様は罰しないのか?」っていう話になるんですね。
Covidは神の試練である、ということを言う人もいますし。キリスト教のカルチャーの中で生活するのは初めてなので、本当にそう考えるんだなぁと興味深く聞いています。
ケニアでの感染状況、第4波に突入したと私は考えているんですが、過去の波と比較するとそこまででもないんですよね、グラフを見る限り。
もちろん、ケニアでは先進国と同じレベルで検査ができているわけではないでしょうけど(過去のデータをみると、検査数は5000~13000件と日によってばらつきがあります)、それでも陽性率は件数の多少には影響されにくいはずなので。
グラフを見る限りは、第3波の波が下がりきらずに、またじわじわと上がってきているような印象です。さてどうなることやら。
そんな状況なので、カウンタパートも警戒を強めており、ゴミ収集員・清掃員にマスクの着用を徹底を呼び掛けたりしていますし、事務所への外部者の立ち入りを制限したりし始めました。
とは言え、建前と本音が大きく乖離する場面はたくさん見てきていますし(詳しくは書きませんが...苦笑)、こういうのを徹底させるのって難しいですよね。ましてや日本みたいに、政府の言うことにちゃんと従う人が多い国ではないので。
公衆衛生って本当に大変な仕事だと思います。医療従事者はもちろんですが、公衆衛生従事者の皆さんにも大きなリスペクトを!
私の現場活動も、気軽にはできなくなるかもしれません。うーん、早く落ち着いてほしいですが、こればっかりは個人の力では何ともならないですからねえ...
ガスシリンダー交換の話
マタツ(ミニバス)は、運転手とコンダクターの2人がペアになっていることが多いです。コンダクターというのは乗客の呼び込みとか、運賃の回収とか、乗客の降りる場所を運転手に伝えたりとかするのが仕事の人です。
私が職場に向かう途中、大通りを走るマタツから、コンダクターが「ブスタバウ!ブスタバウ!」って叫んでいるのがよく聞こえるので、私はてっきり「ブスタバウ」という場所に向かうマタツなんだと思っていたのですよ。
それを職場の人に聞いたら、「ハァ?」という顔をされ、そんな地名はないと。
でも、「ブスタバウ!」って言ってるじゃん、と食い下がったところ、それはおそらく「Posta mbau(ポスタ・ンバウ)!」と言っているのだろうと言われました。
「Posta(ポスタ)」は市内のマコンゲニ(大きな青果市場があります)というエリアにある郵便局のことのようです。
そして、「mbau(ンバウ)」というのはシェン(英語や現地語がミックスされたケニア独自のスワヒリ語)で、「20シリング」を表す言葉だとか。ちなみに正式なスワヒリ語だと「shillingi ishirini(シリンギ・イシリニ)」なので、まったく違いますね。スワヒリ語とシェンではそういう違いがめちゃくちゃたくさんあるそうです。
さて、本題。
日曜日の朝、洗濯を終えて、ご飯の支度をしていると、急にコンロの火が弱まって消えてしまいました。ガス欠です。
私は上の写真のようなガスシリンダーを使っていて、ガスが切れたらガス屋さんに行って買ってこないといけません(もしかしたら定期的に交換に来てくれるサービスもあるかもしれませんが)。
最近ガスが減っていて、そろそろかな~と思っていたのですが、ついになくなりました。
初のガス欠です。やった。ブログのネタができた(笑
5月末に入居したので、ほぼまる2ヶ月で1本使い切った計算です。
1年に6回、2年間で12回のガス購入イベントが発生するわけですね。
ガスを使い切って空なので軽くなっていますが、金属のタンクなのでそこそこに重いです。
アフリカ某国の隊員(女子)に話を聞いたところ、重いから守衛さんにお金を払って代わりに買ってきてもらってるそうです。なるほど。その手があるか...
私も、行きはともかく帰りが重いので、車を拾ってガソリンスタンドへ。ガソリンスタンドにガス屋が併設されていることが多いのです。
最初に行ったガソリンスタンドが開いておらず(日曜日だからかな?)、別のスタンドへ。
私、てっきりシリンダーを持って行って、その場でガスをチャージしてしてもらうのだと思ってたんですが、そんなことはなく(笑)空のシリンダーと満タンのシリンダーを交換でした。
最初に買うときはシリンダーのデポジットがあるのでその分高いんですけど、今回はガス代のみ。1,300KSH≒1,300円くらいです。2ヶ月のガス代(調理のみ)が1,300円。安い。
わーい買えた~😄と喜び勇んで車に戻ると、運転手のおじさんが「お前まだレシートもらってないだろ」と。
いけないいけない。レシートをもらって戻ると、「レシートは大事なんだ。ガスシリンダーに何かあった時に必要だからな」と教えてくれました。
アパートへの帰りにも、運転手に通じるうちのアパートの呼び名を教えてくれたりして、いいおじさんでした。たすかる。
他の支払いについてはこんな感じです。
・電気:M-pesaで電気代を支払い、SMSで送られてくるコード(トークン)を電気メーター(スマートメーター)に入力することで、チャージする前払い式
・水:アパート管理人が各戸のメーターをチェックして、家賃と併せて支払い
・家賃:モバイルバンキングで支払ったら失敗。けっきょく銀行に行って口座に振り込むことに。
所変わればやり方も色々ですね。
コロナとかオリンピックとか人名の話
最近はネタ切れ気味だったりして、なかなかブログ更新できておりません。
ケニアでの暮らしに慣れてきて、生活リズムが一定になってくるとそうなりますよね...
Covid-19の影響で、あんまり出歩いていないというのもあるんですが。
ケニアでは、西部の大流行は収まりつつあるのですが、今度はナイロビを中心とする中部地域や、東部に感染が広がっているようです。
昨日、政府より新たな規制強化が発表されました。
政府としてはまだ第4波に突入したとは考えていないようですが、新規感染者数も陽性率も高くなっていますし、時間の問題かと思います。
私の任地であるキアンブ・カウンティでも感染者数が増えていますので、心配しています。
日本はこんな中でオリンピックを開催して、感染者数も過去最大レベルになってて大変だなと思います。
オリンピックは開催前からこれでもかというくらい色々揉めましたけど、やるからにはちゃんとやってほしいな、と思っておりました。が、どうなるでしょうね。ケニアも心配ですが、日本についてもけっこう心配しております。
デルタ株はヤバい。
オリンピックというと、私自身は「このタイミングで協力隊に行けばお祭り騒ぎから逃れられるな~」とコロナ前から思っていたような人間ですし、テレビも家に置いてないのでほとんどチェックしておりません。一応、スケボーとか卓球とかソフトボールとかが金メダルを獲ってすごいな~とかは思ってますよ、もちろん。
上野投手なんて私と同じ学年で、アテネ大会に出てたのを覚えてるので、ほんとにすごいと思います。
オリンピックに関して言うと、周りのケニア人はまったくオリンピックの話しないですね。みんな興味ないんでしょうか?誰かメダルを取ったら盛り上がるのかな?
Uberの運転手とそんな話をしたら、「みんな興味あるよ!僕は毎日テレビでチェックしてる」と言ってましたけど。
今ケニアは寒い時期(とはいっても、寒い日で最低10℃~最高20℃くらい)なので余計にそう感じるのかもしれませんが、ケニアの選手は東京の暑さに耐えられるのか?というのは疑問があります。屋内競技種目ならまだしも、いくらケニアの陸上選手が強いと言っても、めちゃくちゃ暑い中でちゃんとパフォーマンス出せるんでしょうか...?
日本の温度・湿度は本当にヤバい...
話題は変わって、ケニア人の名前の話を。
ケニア人は8割以上がクリスチャンなので、名前も英語のクリスチャンネームの人がほとんどです。ジョージとかメアリーとかエリザベスとか、わりと英語学習者にもおなじみの名前が多いですね。
中にはジョンストンとかマクスウェルみたいな、クリスチャンネームというか、それはスコッチネームではという名前もあり、旧イギリス植民地なのだなぁと思います。
ラハブとかナハションなどの聞きなれない名前もあって、それはムスリムネームなのだと思ってたんですが、違いました。聖書由来のクリスチャンネームなのだそうです。どちらもルーツは同じなので、双方に同じ名前があることもあるんでしょうけどね。
聞きなれてる英語名でも、発音がわからないことがままありまして。
例えばMaryが「マリ」だったり、Mercyが「メッシー」なのはまだ何とか聞き取れます。Charlesが「チャオス」にしか聞こえない時はさすがにお手上げで、綴りを教えてもらいました。VirginiaとかBeatriceも苦戦しましたね...
ケニア人の英語って、そんなに聞き取りづらいという印象はないんですが(”ca”の発音が「キャ」じゃなくて「カ」になるくらい)、こと人名になるとなかなか聞き取れなかったのが最近の衝撃でした(笑)
英語の人名の発音が特殊だというのもあるんですけどね。なんでStephenが「スティーヴン」やねん、とか思いますよね。冷静に考えるとおかしい。
キクユネームはだいたい名字に残っていて、ンジョロゲとかカマウとかワンブイとかニョカビといった名前があります。父母や祖父母の名前が姓になったりするらしく、キクユ人はフルネームになると、3つとか4つくらい名前があります。まだその辺りの名前の法則がよくわかってないので、今後の課題です(笑)
キクユネームがファーストネームの人はあんまりいないようです
日本という国で日本語の名前が当たり前(とは言え、昔の時代からずいぶん人名も変化しているわけですが)の世界で育った人間からすると、人名がすっかり外国語に入れ替わってしまうのってすごいことだな、と思います。宗教や植民地支配というものの影響力の強さといいますか。
(一応補足しておくと、同じようにヨーロッパ人の名前だってかなりの割合が外国語名にとって代わられているのです、つまり)
そういう意味でキリスト教とかイスラム教というのは、グローバリゼーションの先駆けだったんだろうなぁと改めて思いました。
話がよく分からなくなってきたところで、今回はここまでです。
次回は1週間後に書けるといいのですが。どうでしょうかね。
久しぶりのナイロビのこと
2ヶ月ぶりにナイロビに上京してきました。
コロナ下で密を避けるために、今回はバスやマタツと言った公共交通機関を使用せずに、Uberで移動。
ティカからナイロビは、渋滞していなければ車で約1時間強。ケニヤッタ・ロードという広い高速道路(スーパーハイウェイと呼ばれています)が整備されているので、かなりスムーズに行き来ができます。
この時期は、学校の学期終わりだそうで、寄宿学校の子供たちが一斉に自宅に帰ることから、ナイロビ市内は大渋滞。けっきょく1時間半くらいかかりました。
2ヶ月ぶりに来たナイロビは、やっぱり大都会でした。
行きで約1,600KSH、帰りは約2,000KSH。
ティカからナイロビまでマタツで100KSHらしいので、かなりカネのかかる移動となりました。
道中に、運転手と色々会話をして、「ずいぶん英語話せるようになったな~」感を感じたりしていました(全然まだまだですが)。
タクシー運転手との会話の中でおもしろかったネタをいくつか。
①ケニア人は政府をあんまり信用していない:
私は環境教育隊員として来ているので、「ケニアのゴミ問題は大変だが、日本も昔は同じようにひどかった。でも日本はそれを変えてきた」みたいな話をすると、「でもそれは日本政府がちゃんとしてるからでしょ。ケニア政府は腐ってるからダメだ」と言われることがちょくちょくあります。最近では「Dynasty vs Hustler」というのがよくマスコミで取り上げられていて、これは以前にアメリカを中心に流行った「1% vs 99%」に近い話のようです。これまでケニアでは民族対立がクローズアップされてきたけど、実のところは「持つ者 vs 持たざる者」なのだ、ということですね。
ケニア人曰く「あいつらは選挙が終わったらすぐに次の選挙に向けたキャンペーンを始める。権力を維持することしか頭にないんだ」とか、「大きなプロジェクトが行われて莫大なカネが投入されるけど、それを7~8割平気で懐に入れるんだ」などなど。
ここまで言われると、「いやそんなことないよ、日本だってさ~」とはなかなか言いづらかったりしますね...笑
②ケニアの自動車事情:
Uberドライバーは車に関心があるのか、車トークで盛り上がりました。行きも帰りもたまたまトヨタ・ヴィッツだったんですけど、トヨタ車の愛されぶりがすごいですね。「ケニアで走ってる車の90%はトヨタ車だよ!」と言ってました。イギリスのランドローバーよりも、トヨタランドクルーザーのほうがこっちでは高級車らしいです。レンジローバーが1,000万KSHくらいするのに対して、ランクルは2,000万くらいするのだとか。お金持ちの車と言えばランクル、というイメージのようです。日本だと外国車は遠方から輸入するので高いですが、ケニアだと日本車も欧州車もアメリカ車もすべて輸入品であることが影響していそうです。
また、ミニバンタイプのマタツのことを「ニッサン」と呼ぶのですが、これは昔、日産のバンがマタツによく使われたことに由来するそうです。実際ほとんどのマタツはトヨタ・ハイエースなのですが、未だに「ニッサン」と言われるそうです(日産・キャラバンのニッサンももちろんあります!)。
③その他
帰りのドライバーは、「僕は日本の農業のYouTubeを見るのが好きなんだ!」とか「僕のおじさんは小柄な人なんだけど、カラテのブラックベルトで、大柄なチンピラをのしてしまうくらい強いんだ!」とか「僕はブルース・リーの映画が好きなんだ!」とか、とか、日本好き(?)をアピールしてくれました。
ナイロビ市内にあるウフル・パークという公園は、「良い所だけど、君は一人で行かない方がいいよ。危ないから」などなど、有益な情報を得られました(笑)こういうやり取りも楽しいですね。
今回のナイロビ行きでは、タイミングよく帰国直前の先輩隊員たちに会うことができました。
Covid-19のパンデミックの影響で、日本に帰国せざるを得なくなり、約10ヶ月間の日本での待機期間を選択した後、再派遣となった隊員たち。
私とて、約1年間の日本国内での待機を経て派遣されていますが、コロナによる緊急帰国や、残りの任期が減っていくのを日本で待機しながら待っていた経験をした彼らが一番大変だったろうと思います。
こんなご時世の中、直接人と会うこともままならず、パソコンの画面越しでの会話ばかりだったんですが、最後にナイロビで直接対面し、言葉を交わすことができたのはとてもよい思い出になりました。
近いうちに私たちの隊次が、ケニアの協力隊の一番の古株になるんですが、まだ全然ケニア初心者なのに、色々相談できる先輩隊員がいないという状態は不安がありますね...
連綿と続いていくこと、多くの人の経験や知識が積み上がっていくことの重要性みたいなものを感じます。
いずれにせよ、協力隊の歴史の中でも最も厳しい2年を経験し、活動を満了した彼らに最大限の敬意を表したいと思います。
本当にお疲れさまでした。